© 2011 Daiki Matsuura _MG_8836

一人の人間であること

表現で生きていくという事は本当に厳しいものです。それは時に身内をも敵となり、理解を得ようとする気持ち自体が無意味であったりします。。

技術を「売る」という自分と、誰かから違う部分の技術を「買う」という必要性のバランス。人間はみな何かのプロなのではないかと!?自分だけが「特別」この意味を勘違いすると痛いヤツになってしまいますよね。。?

私自身が個人で仕事を完結させる場面も多々あり、役目が細分化された会社組織であっても、それは皆必ずなにかのプロなのですきっと。。ですよね?
「自分にはわからないから、、」最悪のコメントだと私は思う。少なくとも私の仕事「写真」は、ものが見える人間であるなら、その画が好きか嫌いか、値段が付き人様からお金がいただけるものか否かの評価くらいはできるはずなんですよね。。私の撮影は突飛を買われる写真作家ではありませんから、一般目線が全ての基準となるわけです。

「キャリア」とか「プライド」というものが最前線にあり、でもそのすぐ後ろに「守り」や「安定」という言葉がコバンザメのように見え隠れ、、
そんな後戻りするも勇気とハイリスク、突き進むもまたそれに同じ、、ただ確実に失いたくないもの、人、それだけは明確に見えるようになりましたが。

「心」や「人生観」が大きく撮る画を左右します。。それはカメラマンというプロも人間であるからこその現象でしょう。人間には波もあり温度もあり、それは「心」があるからです。

「卵が先か鶏が先か、、」のような話ですが、「心が先か人生が先か、、」みなさんはいったいどちらが先だと思いますか。。!?

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