© 2011 Daiki Matsuura _MG_9444-2

相変わらずの課題

人間を撮るということは実に難しいし時に苦しいものです。

スタジオ記念写真、ブライダルスナップ、ストリートスナップ、モデル、グラビア、ファッション、コンポジ、、実に多種多様。。。

どれも被写体は「人」なんですけどね、全部ちがうんですよ、全てが違うんです。何が違うって相手の構え方が全く違うんですね、撮られる気構えの「温度差」これが常に私の場合の大きな課題です。

簡潔に言うと、「魅せる事」「撮られる事」が仕事となってる方とそうでない方、カメラ嫌いな方にそのまま嫌々な顔をお撮りしてお金はいただけませんから、暗黙の領域ですが「売れる写真」「相手に買っていただける写真」「将来持ち続けておかしくない写真」という自分の中の許容範囲の表情や衣装のシルエットに、なんとか被写体の方を引っ張り上げなくてはなりません。

東京時代ですが、とある美容師さんを取材したときに聞いた事で

「一番お客様に対して気を使うことって、どんな所ですか??」

という編集者の質問に

「温度差ですね、テンションが高い人もいればドーンと落ちてる人もいる。髪型を変えるっていう行為にはいろんなその人個人の思い入れがありますから。こちらの勝手なハイテンションや良かれと思った言動が裏目に出ないように気を使います。。」

こんな取材をしたことを今も思い出します。つまりベースの性格や好みはあるものの、その日その時間のその人は、後にも先にもその時だけの状況ということです。これは当たり前の事なんですけどね。人は一定ではいられませんし、だから平常心や落ち着いた言動は心がけなければ出来ないものなんですねきっと。相手の人間性にどれだけマッチした受け入れられるキャラクターになれるか!?最重要事項です。そしてこれが難しい。。実に。。

人に対して特定の技術を提供する場合、自分が職人なのかクリエイターなのか、サービス業スタッフなのか困惑しがち。そして大概の場合それら全てが求められるんですよね。カメラマンだからカメラ機材や画像データ、色味や写真の仕上がりといったモノが中心では、多分ポートレーターとしては間違っていると私は思うのです。ですが所詮こちらもまたいろいろなブレを起こす「人」なわけで、同等なこれからも出会い続ける無数の人を理解し切るというのも不可能なのでしょう。

出口の無いような話を長々としてしまいましたが、「人を読む」という力と柔軟に「人に対応出来る人格」この能力が長けた人はいいポートレーターになれるのではなかろうか!?今日はそんな自分の見解の件で締めさせていただきました。

Pocket