それが自身の写真と人生だと分かった。
周りにはあまり見せないようにしてましたが、この期間に堕ちるところまで堕ちていました。。
そして自身に対して気づいたこととして「自分はプライドが高い人間」で、特にフォトグラファーという絶滅危惧種の職業に、
とことん人生を投げ出していると感じました。
私の写真キャリアのスタートは完全無給の丁稚奉公から始まり、地元の写真館に就職し初期は職場でイジメのような待遇も受けました。
そして出版社から一種の引き抜きをもらい、また0からの第2期アシスタント時代「バカだ、アホだ、ゴミだ、使えない、猿以下だ、、」
色々と理不尽に言われ放題な「時代ならでは」「業界ならでは」に耐えてきました。今となっては修行時代は毎日が「心」の修行時代で、
技術云々よりも「他人と自分はここまで頭ん中が違うんだ、、」と心身に叩き込んだ時代でもありました。
独立してからも持病との戦いが長いこと続き、食えない時は近所の川で釣った魚を食べて生き延びてきました。本当にたくましい自分がいました。
私は今日現在も同世代の人間からすれば、間違いなくはるかに低い経済状況の中で生きています。
お金を優先で生きる人生なら多分にあるのは承知ですが、自分の確固たる「表現と人生」のプライドが「逃げ」と判断してそうさせないでいるようです。
自慢はしません。とうてい普通の人には理解もできず、実行もできないことだと思います。とにかく独自に生き抜いて死にたいのです。
だから多少の相手からの理不尽にも、大前提で私は受け身で一切言葉は荒げないと決めています。
常に平常心を心がけて、冷静さを保つことはどんな時でも大切だからです。
先にキレた人間には第三者も耳を傾けない。
この仕事には「言い返さない強さ」「相手の主張を最後まで聞く」ことが経験上で必須だからです。
それは決して「言えない弱さ」ではなく「言わない強さ」なのです。
ご時世は「意見を主張してナンボ」かもしれませんが、反面して忍耐力とか堪え性は、経験で鍛えられる成長の中での人間の強さであり美徳と確信しています。
謙虚さを忘れずに「心」を鍛えた過去があれば「ありがとう」も「ごめんね」も常に自然と躊躇なく使えるはずです。とても大事なことです。私はこの先もこの言葉をたくさん使う人生が良いです。
「プライド」の本質的な意味を考えて一人生きます。